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“諦めない”お客様の目標に対して
誰よりも熱い気持ちで向き合うこと

TRAINER

高祖憲人Koso Kento

Koso Kento

目次

“運動”と一言で言っても、知れば知るほど奥深い。
「運動が人生にどうプラスになるかを考えてきた」と話すのは、THE PERSONのトレーナー、高祖憲人さん。佐賀県出身、15歳にして単身で4年間ニュージランド生活を送った後、大好きなスポーツに関わる仕事をする為に、整形外科クリニックでの運動療法指導や、佐賀県の町おこしプロジェクトなどに携わる。そんな中、より多くの人に運動を通して影響を与えたいと思い、東京に戻り、現在は一人のトレーナーとして多くの方のサポートをしている。
個人の健康を支えていた場所から一転、地域単位での健康を考え始めた背景や、運動に対する考え方、今後の展望についてお話を伺った。

“好きなことをめいっぱい”、サッカーがくれたかけがえのない出会い

―15歳からニュージーランドへ行くことになったきっかけは何だったのでしょうか。

小さい頃からサッカーが大好きで、中学から進学校へ行くことになったのですが、そこでは自分の好きなサッカーをさせてもらえない環境でした。毎日勉強という、決められたものに対して正解を導き出さなければいけない環境の中で過ごしているうちに、学校にあまり行けなくなってしまったんです。
そこで、自分の好きなことをめいっぱいやってみたくなり、海外への漠然とした憧れや、スポーツを思い切りやってみたいという思いを両親に相談し、ニュージーランドへの留学を決意しました。

4年間のニュージーランド生活はとても楽しく、あの時期に様々な価値観に触れられたことは、自分にとって大きな財産になったと実感しています。
言葉の壁はもちろんあり、120%気持ちが伝えられないもどかしさがあった中で、サッカーは僕に、仲間を作ったり楽しく生活できるきっかけを与えてくれました。サッカーがきっかけで、3年間ほど友人の家でホームステイをさせてもらえることになったのですが、彼らからは無償の愛情を注いでもらった実感があります。素敵な家族に出会えたことはとても大きな経験であり、今後の人生において自分もそう在りたいと思えたきっかけにもなっています。

自らの経験からたどり着いた”やりたいこと”

―幅広いスポーツの仕事の中から、トレーナーという仕事に進んだ理由は?

自分自身が中学生の頃、スポーツができずに悩んだ時期があったため、スポーツ心理学など、運動がどうすれば人の人生をポジティブにできるかを勉強したいと考えていました。スポーツサイエンスを学んでその奥深さを知り、もう一度日本に戻ってより学んでいきたいと思ったのがきっかけです。

ダニー・ヘイ*という、ニュージーランドプロサッカーチームのキャプテンを数年前まで現役でやっていた人がスポーツサイエンスの先生だったのですが、とても厳しい人で、口癖が「パニッシュ(罰を与える)!」でした(笑)彼のような一流の指導者に出会ったことや、 スポーツ外傷の医療費が無料という、スポーツを国全体で支援するような環境に触れられたことも要因の一つかもしれません。

―ニュージーランドで興味を持たれた”スポーツサイエンス”とは、どういう学びだったのでしょうか。

筋肉の名前を覚えるところから、競技パフォーマンスを上げるためにはどういう組み方がいいのかということろまで、一通り学ばせてもらいました。あとは、ニュージーランドなので半分くらいはラグビーしてましたね。笑

―いろんな意味で恵まれつつ、スポーツに携わる人がたくさんいる環境で育ったこともきっかけだったんですね。その後、専門学校へ進まれたのですね。

はい。その専門学校で受けていたアスレチックトレーナーの現場実習先のヘッドトレーナーが、庄司さんという方でした。意気投合してからはずっと一緒にやらせてもらっていて。庄司さんとの出会いは、人生において一番大きな出会いだったなと思います。

―その後、整形外科クリニックへ行かれたのですね。現場実習も含めた学びから、クリニックというスポーツ現場とは少し離れた場所に勤務されて感じたことは何だったのでしょう。

世の中に運動していない人がこんなにいるんだ、という衝撃があり、運動不足が原因で身体を痛めている人に多く出会い、これはどうにかしないといけないという気持ちになりました。
もともと運動が人生にどうプラスになるかということをやりたいと思っていたので、多くの人に対応できるクリニックでの経験は、自分がやりたかったこととマッチしていました。あと、怪我から解放されたお客さんからの「ありがとう」という言葉が、日々のモチベーションになっていましたね。「ありがとう」の言葉が持つ力を感じているので、今でも意識的に言うようにしています。

―クリニックでの嬉しかったエピソードがあれば教えてください。

トレーニングを担当していた人がフルマラソンを走りたいと言っていたのですが、乳がんになってしまい、思うようにトレーニングができなかった期間の中で、できる運動を提案し、手術後にリハビリを担当し、2年ほどの時を経て走りきることができたという経験をよく覚えています。その人にとって、マラソンを走ることが乳がんと戦うことに対する一つのモチベーションになっていたので、一緒に乗り切ることができて嬉しかったです。

―運動がどう人生に影響を与えるかということを実感する体験だったんですね。

“個人”から”地域”での健康へ

―ここまでのエピソードから、ある程度仕事におけるやりたいことが叶っていらっしゃるように思えるのですが、それを超えてでも佐賀での町おこしプロジェクトに関わることを決めたのにはどのような想いがあったのでしょうか。

クリニックで痛みを抱える人と毎日向き合っていく中で、対応した人が良くなって元の生活に戻られて、そしてまた新しい人が来て、、というサイクルをずっと続けていても、根本的に何かできているのだろうかと感じたんです。そこで、地元である佐賀で地域自体を、病院に行く前に健康的なライフスタイルを作ってもらえるようなことをまずやってみたいと思ったのがきっかけです。駅前の中央通りに人が健康になるような店を乱立させ、道に出てくれば健康になれるようなお店(食事、ヘッドスパ、図書館など)を作っている会社がジムを立ち上げるタイミングで呼んでもらい、1年間古民家をDIYしてジムに作り変えるというプロジェクトに参加しました。

―そこでの実際のやりがいや、残っている思いはありますか?

整形外科での経験が間違いなかったという確信が持てたことは大きかったです。整形外科へ来る以外の人たちに、やっていたトレーニングをやることで健康になることが分かったのは、自分にとって良かったと思えたことの一つです。一方で、小さい町でやっていくことの厳しさを感じ始め、もう一歩引いたところから、よりその地域自体をよくしていきたいと感じました。中だけでやっていても、何も変わらないのではないかと感じたんです。

―もっと全体を動かせるようになり、その効果を地域にも、というところですね。出身地での活動で、家族や地域の人たちとのコミュニケーションの中で嬉しかったことはありますか?

女性専用のフィットネスに来てくれていた人が、ご主人を男性専用ジムに連れてきてくれたり、家族ぐるみで来てくれたことは、”紹介したいと思ってもらえるような場所になっているんだ”という実感が得ることができて嬉しかったですね。

間違いを修正するのではなく、できているところを褒めること

―日々のトレーニングでお客様と向き合う時に意識していることはありますか?

一つ専門学校のとにきに教わってとても大切にしていることがあるのですが、トレーナーって「ここができていないです」という風に間違いを修正する仕事になりがちなんです。例えば丸を描いた時に、ほぼ丸だけど少しだけ繋がっていない部分があり、そこを修正する人になりやすい。その、ほぼほぼできているところを褒めてあげることがより大事だと教わりました。できているところを、どうできているのかを言うことは癖にしています。

―大きな挫折の経験はあったのでしょうか。

あります。どう頑張っても良くならない人はいて、手術してもどうしても良くならず、申し訳ないという気持ちになることは多々ありました。それでも、その人がもう一度目標設定をしてくれて、どうするか話し合う事もあります。そういった時に、違う角度からの代替案やボキャブラリーを増やせるように努力していますね。

―色々な経験を経て、大きい思いがある中での心境の変化や、今後の展望を聞かせてください。

THE PERSONのシェアリングの部分に携わらせていただいている中で、トレーナーを志す人が多くなったり、トレーナーがより働きやすかったりというように、身体の専門家が一人でも多く社会の中で活動していけると、運動不足で痛みが出てクリニックに行く、というような人が少なくなっていくのではないかと思っています。その結果、病院に行かなくてもいい人が増えてくると、社会保障費なども抑えられたり、それが地方にまで影響するところまでの規模感でやっていきたいと思っています。

もちろん自分が向き合う人たちもしっかり健康にしていきたいという思いもありますし、一緒に関わっているメンバーがより一人一人に寄り添えるマインドなど、同じ思いでやっていくメンバーを一人でも増やしていきたいという気持ちになりつつあります。

―その気持ちの変化のきっかけはなんだったのでしょう?

stadiumsに入って、思いがちゃん繋がるというか、みんなで同じ気持ちで同じ目標に向かって頑張るというのが凄くいいなと思っているんです。今やっているところに、同じ思いでやれるメンバーが入ってきて、より多くの人にサービスが届くようにしたいなと思っています。

―いま、ありがとうを伝えたい人は?

僕の祖父です。じいちゃんは、僕が辛かった時によく一緒にいてくれた、かけがえのない存在です。
底抜けにお人好しで、いつも相手が一番。大人なのに、何にでも本気で取り組んで、誰よりも楽しむじいちゃんと一緒に過ごす時間が大好きでした。じいちゃんにだけは何が辛いのか、本当の心の中を話すことができたんです。ただそこにいて、自分を出せるというだけでも人にとってプラスになるということを教えてくれました。
じいちゃんから学んだことは数え切れないほどあって、間違いなく僕のルーツです。困っている人にはただ寄り添うこと、夢中でその場を楽しむこと、もらうより与えること、人と比べないこと、無償の愛情。じいちゃんから学んだことは、今の自分の仕事にも生きています。

寄り添い、目標に向かって並走し、一緒に達成すること

―高祖さんにとって、トレーナーという仕事の魅力とは?

個人にとっての健康や運動に対する価値観が違う中で、一人一人の思いに対して寄り添うことができて、並走し、一緒に達成できることですね。今改めて、とてもいいなと思います。

―健康に対する意識に個人差がある中で、そこを聞き出すときに意識していることはありますか?

そもそも運動で元気になったり豊かになって欲しいという思いがあるので、なるべくポジティブになれるような会話の流れにしたいと常に思っています。『Yes, and』という順番で最初話すようにしていて、何かあった時に「ダメです」と話すのではなく、まずよかったところを承認し、「あとはここですね」という会話の流れにすることは鉄則として持っています。トレーニング指導の局面もそうですし、何かお話を聞き出す時にもここを絶対にやろうと決めたタイミングがあったのがきっかけです。

―ズバリ、高祖さんにとって”いいトレーナー”とは?

“諦めない人”です。その人の目標を聞いたら絶対に逃さないくらい、よりこっちが熱を持ってやれるくらいでないといけない。相手「なりたい」と言ったことに対して最後まで諦めずにやる人こそ、いいトレーナーだと思います。

―自分の思いに素直に動き、自らの経験から個人だけでなく地域全体の健康のためにできることを考え続け、行動を重ねてきた高祖さん。その温かい人柄から、関わる人々に対する思いやりや寄り添いの気持ちが垣間見え、人々の健康に対する熱い想いまでをも汲み取ることができました。
運動とは、知れば知るほど奥深く、人々の人生にとってプラスの影響を与えてくれるものなのですね。

Profile

高祖 憲人(こうそ けんと)
1994年生まれ。佐賀県出身。
佐賀で15歳まで過ごした後、単身ニュージーランドで羊と共に4年間過ごす。帰国後、大好きなスポーツに関わる仕事をする為にアスレティックトレーナーの資格を取得、スポーツ整形外科クリニックにて3年間で10000回以上の運動療法指導を経験。その後、地元佐賀県の町おこし企業に就職、築120年の古民家をDIYしてGYMに作り替え、佐賀の人々の健康的なライフスタイルづくりに貢献。2020年7月より東京に戻り、『健康が持続する社会』の実現に向けて活動中。

保有資格
・日本体育協会公認アスレティックトレーナー
・JATI-ATIトレーニング指導者
・FTPピラティスインストラクター

<取材・編集=山本真奈(@maaaaa7a)/文=藤井由香里(@yukaringram)>

ワード

ダニー・ヘイ

ダニエル・ジョン・”ダニー”・ヘイ(1975年5月15日生まれ)は、引退したニュージーランドのプロサッカー選手で、現在はサッカーニュージーランド代表、ニュージーランドU-23、ニュージーランドU-20の監督を務めています。ヘイは、イングランド・プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドやナショナル・サッカー・リーグのパース・グローリーで、セントラル・ディフェンダーとして活躍しました。また、ニュージーランド・フットボール・リーグのワイタケレ・ユナイテッドではキャプテンを務めました。