©2024 stadiums inc. All Rights Reserved

“体現すること”で
プレイヤーと同じ目線に立ち
向き合うこと

OWNER

松岡哲朗Tetsuro Matsuoka

Tetsuro Matsuoka

目次

「スポーツでパフォーマンスを上げるために必要なことを考えたら、筋トレにたどり着いた」ーそう話すのは、スポーツ鍼灸院 familiaを設立し、THE PERSON国立のオーナーでもある、松岡哲郎さん。
海外でプロサッカー選手として活動した経験を持つ。怪我により引退し、怪我で苦しむ選手を一人でも減らしたいと医療の道を志し、スポーツ整形外科で幅広い層の患者さんと向き合った後、独立。プロの道から一転、自らも現役でスポーツを続け、プレイヤーと同じ目線に立ちながらサポートする松岡さんに、トレーニングに対する思いや今後の展望についてお話を伺った。

プロになる夢を抱きながら、将来のことを考え続けた

―サッカーはいつ頃から始められたのでしょうか。

幼稚園の頃に始めたんですが、当時は自分の意思というよりは、気づいたら親に入れられていた感じですね。でも、すごく楽しかった記憶はあります。小学校ではクラブチーム、中学は部活、高校でも部活に入ったんですが辞めてしまったので、社会人チームに入り、大学でも社会人チームに入ってやっていました。

プロを目指していたところ、厳しさを感じて就活を始めたんですが、結局やりたいことが見つからず、両親にお願いして1年間練習生としてアルゼンチンのプロのユースチームに入りました。一年経って契約の時期に、たまたまユースの監督に気に入られていたこともあり、その監督がちょうど一軍の監督になることころで引っ張ってもらい、契約したという流れです。振り返ってみると、運が良かったなと思います。

―アルゼンチンへ行って一年後に選手としての契約がスタートしたということなんですね。向こうでのサッカーの体験はいかがでしたか。

正直日本の方が技術は高いなと感じたんですが、強さや戦う気持ちといったフィジカルの面では、向こうの方が圧倒的に強く感じました。ガンガン吹っ飛ばされていましたし、そこでの学びはすごくありましたね。

―チームに所属し、選手として続ける中での目標はどのように考えていらっしゃったのでしょうか。

最終的にはJリーグでやりたいと思っていました。3年半くらいアルゼンチンで経験を積んでから日本に戻り、FC鹿児島に入団したのですが、そこで怪我に悩まされました。リハビリをしてもあまりよくならなくて。フィジカルでプレーするタイプだったので、走れないと役に立たないなと思い、年齢も考えるとそこで諦めがつき、引退を決意しました。

―この道に進むというのは、ご自身の経験からなのでしょうか。

よくあるパターンなのかもしれないですが、怪我で苦しむ人を減らしたいという思いからですね。プロになる夢を持っているとはいえ、アルゼンチンで将来どうしようかということは常に考えながらやっていました。

自分のペースで、やりたいことを実現する

ー専門学校で勉強し、現場で実際に患者さんと関わって初めて感じたことは何かありましたか。

僕が務めていた八王子スポーツ整形外科にはリハビリ科があって、学びはたくさんあったのですが、正直自分の業務にいっぱいいっぱいで。選手や患者さんをよくしたいという思いで入ったはずなのに、最初はなかなか矢印が患者さんに向いていなかったなと、振り返ってみて思います。

―それってとてもリアルなお声ですよね。開業以外にも様々な道があると思いますが、ご自身で箱を構えるという決断に至った経緯は何だったのでしょうか。

最初から最終的に開業したいというのはありました。今のように治療もできる場所を作りたいというのが頭にあり、そこに向けてどういう職場で経験を積めばいいかを考え、それが学べるスポーツ整形に入ったんです。あまり大人数でのコミュニケーションが得意ではないこともあり、自分だけでのんびりやりたいな、という想いもありましたね。
現在は夫婦でやっているんですが、週に何回かはスポーツチームの現場に行くこともあります。今は一橋と大成高校を見ていて、この4月から母校である専門学校の講師を始めることになりました。

―外部とご自身の治療院での時間のバランスはどのような感じなのでしょうか。

サッカー部は朝練なので、7-8時で営業時間外でできています。ラグビー部は水曜日の15時から練習があるので、それまでは治療院で営業ができ、土曜日は午前練なのでそれ以外は治療院で、という形ですね。
THE PERSONには基本的に全時間帯で貸し出しをしており、自分の患者さんが入ればそこはクローズするという感じです。

―THE PERSONを利用するようになったきっかけは?

開業から一年程経った時、知人に話を聞いてやってみようかなと思ったのがきっかけです。今はまだ治療院だけだと厳しいと感じているので、外部の仕事と、THE PERSONさんからの収入が合わさることで成り立っていますね。軌道に乗せていきたいなと思っているところです。

実際に、THE PERSONを使い始めてよかったなと思っています。最初は物量機器などがあったので、知らない人が入ってくることに対して少し抵抗があったのですが、実際そういったこともなく、不満もないですし、最初に抱いていた不安もないです。知り合いに相談されたら、自信を持って紹介できるなと思っています。綺麗に掃除して整えておけば、空き時間を有効活用してお金が入ってくるという仕組みはとても有り難いですね。

プレイヤーと同じ目線に立ち、向き合うこと

―ゆったり自分のペースで患者さんと向き合うために開業を考えていたということですが、実際に開業されてみて、描いていたことは現実的に実現できているのでしょうか。

のんびりはできているのかな、と思います。今は治療院で、最初はメディカルがメインだったのですが、だんだんとトレーニングに特化し始めています。なぜかというと、一橋のラグビー部の試合で怪我人が多く、そもそも強豪校と試合をやる時に、身体の大きさが問題としてあるなと感じていて。
治療をする前に、身体づくりをすることが必要なのではと感じました。ラグビーにおいては、まず身体を大きくすることから始めることが必要だと思い、自分も社会人チームでラグビーを始め、トレーニングを行った結果、怪我なくプレーできるということを体感しました。
身体づくりをすることで怪我なくスポーツに打ち込めると実感し、そこで改めてトレーニングの重要性を感じたんです。なので、トレーニングに力を入れていきたいと思っています。

―今、治療やトレーニングなどのバランスがご自身の中で変わってきた中で、今後の展望はありますか?

今後はトレーニング一本にしていきたいなと思っています。トレーニング自体はもともと趣味で、家にもパワーラックなどを置いて一つの部屋を筋トレ部屋にするくらい好きなので、ゆくゆくはトレーニングルーム付きの一軒家が欲しいんです。少しずつその方面にシフトしていけたら、と思っています。

―そこまでトレーニングが好きになったのって、何がきっかけだったんでしょう。

現役の時から”フィジカルで勝負しよう”というのがあったので、その時から筋トレをしていたこともあり、もう今ではやらないと落ち着かなくなってしまいました。やっぱりスポーツが好きで、ラグビーやサッカーもやっているし、そこのパフォーマンスを上げたいとなると、筋トレでどのようなプログラムを組むとどのように生きてくるのかを知るのは、とても面白くて。自分がやった成果を、何かで出せるのはとてもいいことだなと思っています。
実は7月に100mの大会に出るんですが、やはりそこでもパフォーマンスを上げる手段として筋トレをやっていますね。現場においても見本を見せれるように、選手たちに負けないよう、自分もトレーニングを続けています。

―海外でのプロ選手としてのご経験もありながら、いつまでもスポーツを楽しむために体現し、経験をより具体的に伝えていらっしゃるのは、選手の皆さんにとってもきっと嬉しいことですよね。

自らが楽しみ、体現し、伝えること

―ご自身で様々なスポーツを現役でされているからこそ、どういう風にすればパフォーマンスが上がるかというのがよく分かるし、それを自分の言葉で伝えることができるんですね。

そうですね。現場でまだ自分が動けるうちに、いずれ見本を見せられなくなる時までに、知識をいっぱい叩き込んでおかないといけないと思っています。見本を見せられるうちは頑張ってやって、その間に知識を蓄えて、見本が見せられなくなっても知識量で黙らせられるようになりたいなと思っています。

―松岡さんにとって、”トレーニング”とは?

“目的のための手段”ですね。僕はスポーツでパフォーマンスを上げるために必要なことを考えたら、筋トレにたどり着いたのでやっていますが、もし他にもっといい手段があればそちらにいくかもしれないですね。”目的のための手段”なだけで、それがたまたま楽しいという。結果に繋がったり繋がらなかった時に、その筋トレをどう変えていくかということろが面白いです。

―自らスポーツを楽しみ、体現し、そこで得た知見や経験を多くの方に伝えられている松岡さん。”自ら体験し、自分の言葉で伝える”、その向き合い方こそが、プレイヤーの方や患者さんにとって、信頼できる大きな部分となっているのだと感じました。自らの強みを特化し、試行錯誤を重ねながらスポーツやトレーニングに真摯に向き合う姿は素晴らしく、今後もどのように表現されていくのか、目が離せませんね。

Profile

松岡 哲郎(まつおか てつろう)
1985年生まれ。アルゼンチンプロサッカー3部リーグCAMBACERESに1年、ウルグアイプロサッカー2部リーグ SUD AMERICAに3年所属したのち、日本へ帰国。帰国後、怪我により長年やっていたサッカーを引退。その悔しさから、怪我で苦しむ選手を一人でも多く減らしたい、力になりたいと思い、医療の道を志す。専門学校卒業後、スポーツ整形外科で勤務し、外傷・障害に対する治療や運動療法、パフォーマンス向上の為のトレーニング指導をアスリートから一般の方まで幅広く対応。また、トレーナーとして関東学院大学サッカー部や社会人アメリカンフットボール、高校サッカー、トレイルラン、バレーボールなどのチーム・競技をサポートを経験。現在は、一橋大学ラグビー部トレーナー、大成高校サッカー部フィジカルトレーナーとして、治療やリハビリ、パフォーマンス向上の為のトレーニング指導を行う。

保有資格
・国家資格 鍼灸師
・日本スポーツ協会公認 アスレティックトレーナー
・大川カイロプラクティック認定 カイロプラクター
・ViPR認定 インストラクター

<取材・編集=山本真奈(@maaaaa7a)/文=藤井由香里(@yukaringram)>